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北欧神話ーオーディンの箴言

さて、フギンとムニンの流れで、オーディンの箴言をメモ。
 
オーディンがフギンよりムニンを心配した。
というのは、「高き者の言葉」からもオーディンがいかに分別を大事にしたかが書かれている。
フギンは「心」や「思考」、ムニンは「記憶」や「識別の力」だ。
「記憶」と「識別の力」というのは「分別」と解釈できる。
 
「高き者の言葉」というのはハヴァマールHávamálで、「オーディンの箴言」や「オーディンの訓言」などの邦題もある。
現代にも通用するものがあるし、その中の女性観にケバダチはちょっと腹を立てもしたんだけどねw
フギンよりもムニンを心配したオーディンの、箴言を書き留めようと思う。
(「しんげん」て読むんだね。ケバダチは読めなかったよ;; 日本語も難し〜)
 
 
オーディンの箴言
 
中にはいる前に、すべてのドアに気をくばっておけ。ふりかえって注意しておけ。敵が中のどの席に座っているかしれないから。
 
書き出しから緊張を強いる「オーディンの箴言(高き者の言葉)」。
ヴァイキング時代の名言・格言集、といった感じ。
今の時代にも通用するものもあるし、いや、そうじゃないでしょ、というのもある。
上に立つ者の視点なので、管理職や起業しようとか思ってる人には役立つ言葉でもあるのかな。
地元北欧では普通に読まれるものだそうだ。
(日本のビジネスマンが「葉隠」や「武士道」を読む感覚に近いかも)
その時代の人々を知る資料でもあるし、今でも通用する部分もあることからか、
古エッダの中で、評価の高い歌だ。
まぁそれなりに面白いので、全文一読も悪くないですよ。
(わたくしの持つ翻訳でも19ページだけ)
 
中は、
・客と主
・賢い者と愚か者
・男と女
・ロッドファーヴニルへの忠告
・ルーン(ルーネ)のこと
といった内容。
 
その一部を、ケバダチ感性で抜粋。( )内数字は章。
 
客と主
 
ひろく旅をし、処々方々をめぐった者だけが、人々は誰も、分別を舵に世を渡っていることがわかる。が、その者こそ分別をそなえた知恵者だ。(18)
 
見聞を広めろ。ということだね。
オーディンはあちこち旅をしているから、分別のある知恵者なんだろう。

もって出掛けるのに、すぐれた分別にまさる荷物はない。これは、見知らぬ国では、財産より役に立つように思う。これは、みじめな者を守る鎧だ。(10)
 
貧乏旅行でも分別さえもっていれば、大名旅行よりもいい。ということかな。
その昔は宿などなくて、普通の家に泊まらせてもらうのだから、そこで気持ちよく過ごすためのコツは必要だっただろう。
 
己れの知恵を自慢するな。賢くて無口な人が、他家を訪れても、ひどい目にあうことは稀だ。(6)
注意深い客は、食事のよばれたら沈黙を守る。人の話に耳を傾け、眼であたりに気を配る。このように、賢明な人は誰でも、あたりに注意をはらう。(7)

 
沈黙は金 なのかな。
辺りをギロッと気を配っていたら不審者になってしまうが、喋りすぎをオーディンは注意している。
 
分別

 
実際には、寒い北欧地方で他所からの客は歓迎されたと聞く。
人々は話に飢えていたそうだ。
知らない土地、知らない人々、知らない出来事。
それらを旅人から話してもらうのは、娯楽であり、大事な情報源でもあったという。
話上手な旅人がまた来るとなれば、近所の人も集めて話を聞いた(宴会になった)ものらしい。
 
もって出掛けるのに、すぐれた分別にまさる荷物はない。麦酒の飲みすぎより悪い糧食を選ぶな。(11)
人の子にとって、麦酒は、そういわれるほどよいものではない。たくさん飲めばそれだけ性根を失うものだから。(12)
愚か者は、ご馳走によばれると、口を開けて見とれたり、ぶつぶつつぶやいたり、じっとしている。だが、いったん酒を飲むと、その男の分別もどこかへ行ってしまう。(18)

 
そうですねw 気をつけます!
オーディンはへべれけになって分別を盗まれたことがある(13)ようだ。取り戻したようだけど(14)w

 

賢い者と愚か者
 
食いしん坊は、分別をもたないと、食べすぎて一生身体をこわす。(20)
家畜でも、いつ家に帰るべきかを知っていて、草地をはなれる。だが、馬鹿者は自分の腹の限度を知らない。(21)

 
……食欲魔神(大食漢じゃないけど食べるの大好き♪)のケバダチとしてはきついお言葉^^;
でも、本当。現代食だと糖尿病も怖いし、食べすぎには注意だよね。

性根のまがった哀れな男は、手当たり次第に何でもあざける。自分にも欠けた点がないわけではないのを、知ればいいのに、それには気がつかない。(22)
 
悪口って、秀でた者に対して劣った者がいう言葉だ、なんていうよね。
それと似てるね。
あざけるって、相手を見下すことで自分が優位に立ったと勘違いできる行為だから、その場に嫌な空気が流れるし、見下すしかないあざけてる方が、端からは哀れだなと見えるもんね。
 
愚か者は、毎晩目を覚まして、ああでもない、こうでもないと考える。朝になると疲れ果てるが、すべては前とかわらず、みじめなままだ。(23)
 
下手な考え休むに似たり ってことか。
夜は寝よう^^
 
愚か者
 
愚か者は、隅にいると、何でも知っているように思う。だが、人々が試そうとすると、どう答えていいかまるっきりわからない。(26)
愚か者は、人の集まるところへ出たら、黙っておるのがいちばんよい。あまりしゃべらなければ、彼が知らぬことに誰も気付かない。たくさんしゃべっても、何も知らぬということが人にはわかる。(27)
黙っていられない者は、馬鹿げたことばかりしゃべる。おしゃべるの舌は、誰もそれをとめないと、自らに災いをもたらすことが多い。(29)

 
とりあえず黙っておけ。ということかw
喋ると墓穴を掘るってあるもんね。
上に立つ人はそのほうがいいかもしれない。
自席発言なんて言葉使ってもヤジはヤジで、上に立つ人がそれじゃむにゃむにゃむにゃ…
 
誰でもほどほどに賢いのがよい。賢すぎてはいけない。あまり賢すぎると、その心が晴れることは稀になるから。
  
ケバダチ=賢くない が決定したw
わたくしの心は、具合が悪くない限り、ほぼ晴れやか。
少しは曇ることもあるけど、曇る自分がいやで、パーッといこーとなるw
 
人も他の人と話をすることで賢くなる。引っ込み思案では賢くなれない。(57)
 
人と話すって大きいよね。
自分が音楽に使ってる時間帯に、他の人は違うことに時間を使ってる。その人と会話できれば自分とは違うことを学んだ一部を教えてもらえることになる。
引っ込み思案でも今はネットもあるし、賢くなれないと断定するものじゃないよね。
でも、リアルでの会話はより豊かにしてくれるのは確か。
 
愚か者は財産か女の愛を手にいれると、鼻高々となり、増長するが、分別は増しはしない。(79)
 
分別を得る道は険しいねぇ。。。
 

友だち
 
たとえ近くに棲んでいても、悪い友だちのところは遠いし、たとえ遠くへ行ってしまっても、よい友だちのところは近い。(34)
 
実際の距離で考えてもそうだし、心の距離もそうだ。
 
友だちは、互いに武器や衣服を贈って相手を喜ばすべきだ。自分自身の経験にてらしてみればいちばんよくわかる。贈ったり、贈られたりして、友だちはいちばん長つづきする。うまく行きさえしたら。(41)
友だちには友だちらしくして、贈物には贈物のお返しをすべきだ。笑いは笑いで。嘘は嘘でうけとめるべきだ。(42)
友だちと、その友だちとも、友だちになれ。だが、誰も、敵の友だちの友だちにはなるな。(43)
もし、信頼できぬ友をもちながら、彼からよいことを期待しようと思うなら、口先だけきれいごとをいって、心では欺き、ごまかしにはごまかしでむくいるべきだ。(45)
お前の信頼できない、気心の知れぬ者についてもそうだ。その者には笑いかけて、心にもないことを話せ。贈物には同じ贈物を返せ(46)

 
どこか、冷めてるよね。
「友だち」と言いつつ、「利用」が頭にある。よね? オーディンは。
友だちが好きなものはわかってるからプレゼントしたいって自然と生まれる感情だ。
でも、オーディンの言葉はその関係すらコントロールしようとするよね。
そうあるべきなのかなぁ?
 
わたくしは友だちが少ない。
でもその友だちには心を許してる。
笑いには笑いを返せるけど、嘘をつかれたら怒るな。
嘘を嘘と受け止める器がケバダチにはないからw
なぜ嘘をつかれなきゃならないのか、振り回されるし、友だちと思えなくなる。
わたくしの考える友だちと、オーディンのいう友だちはズレがあるみたい。
 
それと、気心をしれない人に対してまで「心にもないことを話せ」には異議申し立て。
それもうまくやるコツなのかもしれないけどね。
噂に左右されないで真っ直ぐな自分をみせて話をすれば、いじわるだとか、不良だとか、マイナスレッテルを貼られてる人も、同じように話をし、楽しく交流できるって経験で知ってる。
信頼すれば信頼してくれる。(だから嘘には怒るんだけどね)
オーディンのそれはビジネスマンがいいそうな処世術なのかな・・・理解できそうにない。
 
悪い友との間には、火よりも熱い友情が5日間燃えあがる。だが、6日目がくると、火は消えて、友情は前より悪化する。(52)
 
だから、それは友だちとはいわないでしょw 
 
胸の思いをのこらず打ち明けるようにすすめる者は友情で結ばれる。だが、いいことばかり口にして、心のかわりやすい者は真の友ではない。(124)
 
だね。
 

人生
 
人の子らにとって、火と太陽の顔と、かなえば健康と、恥のない生活のできることが最上だ。(68)
たとえ健康でなくても万事みじめだという人はいない。ある者は身内ゆえに、ある者は富ゆえに、また、ある者は仕事ゆえにしあわせだ。(69)
生きていて生活を楽しめるほうがよい。(70)
びっこでも馬にのれるし、手がなくても家畜の番ができる。つんぼでも戦って、いっぱしの働きを見せる。めくらでも死んで焼かれるよりはよい。死体は何の役にも立たぬ。(71)

 
すべてがみじめだという人はいない、そうだ。
何かしらあって、そこに幸せを見出せるという。
そして、死ぬよりましだ、と、人生を謳歌しろとオーディンは言っている。
乱暴な物言いだけど、この言葉は勇気をくれるから好きだな。
わたくしみたいなちっぽけな存在も肯定されてる感覚がある。
顔を上げて生きよう、って気がするよ。
 
財産は滅び、身内の者は死にたえ、自分もやがては死ぬ。だが決して滅びぬのが自らのえた名声だ。(76)
 
決して滅びぬものは、死者すべてをめぐって取沙汰される評判だ(77)と重ねて言っている。
このエッダで最も有名な格言だろう。
伝記に取り上げられるような人は、何かを成し遂げて、その名を後世にまで残してる。
確かにオーディンの言葉は正しいだろう。
ただ、女は男より名声欲が少ないみたいで、この言葉は胸にあまり響かないw
 

男と女
 
風の吹くときに樹を斬り倒せ。天気のよいときに海に漕ぎ出せ。女とは暗闇で話せ。昼の眼は多い。船にはスピードを、楯には防御を、剣には一刀両断を、娘には接吻を要求せよ。(82)
 
船にスピードを要求するってわかるよ。
楯も防御できてなんぼだから、それもわかる。
それで娘には接吻を要求するのが当たり前なの?
あ〜たねぇ。。。
 
娘のことば、女のいうことなど信用するな。彼らの心は、回転する軸のようにつくられていて、移り気が胸にすくっているのだ。(84)
 
はあ〜???
ろくな恋愛してないんじゃないの? オーディンさんは。
 
わしは男も女も知っているゆえに、ざっくばらんに語ろう。男の女にたいする心は移り気なものだ。不実な心をいだきながら、われわれは口先だけきれいなことをいう。それで賢い人の心もだまされる。(91)
女の愛を得んとする者は、きれいごとをいって贈物をし、女の美しさをほめよ。お世辞をいう者は首尾よくいく。(92)

 
でたよ、口先だけ。
オーディンの口先だけって、つまり「利用」だよねぇ。
わたくしの少ない経験からも、見た目をほめたり内容以上に仕事の世辞をいう人は体目的だよ。
本当に好いてくれる人は、ごくごくたま〜に、本当に照れて聞こえないぐらいの声で言ってくれる。
言わない人のほうが愛してくれてる、そう思う。
まぁ、日本人だからそう思うのであって、北欧の人はまた違うのかもしれないけど、わたくしならオーディンは信用しないなw
 男と女
 
他人が恋をするからといってとがめてはならぬ。バカげたことには手を出さぬ賢い男でも、欲望をそそる美貌に手もなくとりこになる例は多い。(93)
 
これ、フレイのことかなw
 
 
この後も、女をものにするルーンとか、女があざむかないようにするまじないだとかあるけれど、どうしても手にいれられなかった話もする。(ざま〜w)
わたくしがオーディンの女性観に憤慨してるのは、性欲の対象としか見てないようなところなのよ。
ヴァン神族の近親婚をいやがるくせに、自分はあちこちの女に手を出してる。
そのうえ、魅力的な女をものにしたいと願うのは当たり前のことで、その願いを叶えるための指南ってことなんだよ。
それは性欲を肯定的にとらえてるのだから、決して間違ってはいないと思うんだけど、
どうもね。女からみると、納得しかねる。
まぁ、ヴァイキングが活動を広めていくうえで、その土地の女と仲良くなるのは大事なことだったと思うし、そこで子どもでも生まれれば平和に領土を広げることにもつながるから、手法としては有りなんでしょう。
 
オーディン。
主神であるからこそ、もっとステキであってほしい。
そんなわたくしの欲があるから、オーディンをボロクソに言ってしまいますがw
1つだけ気に入ってる絵があります。
 
オーディンの告別
「オーディンの告別」1875年頃、F. リーク
 

戦いに行く前のひととき。正妻のフリッグと。
いとおしく妻を抱き寄せる。
良かった。
フリッグも他の男と内通してたり、オーディンがしばらく留守だった時は、オーディンの兄弟と夫婦のように生活してたりで(おいおい!)、冷え切った夫婦に読めてたけど、命に関わる時には、やはり夫婦に戻るんでしょうね。
そう思いたいじゃないの。
夫婦は愛し合ってのものだと、神こそ示してください!w
 
 
【おまけ】
エッダのメロディ−。
 
オーディンの箴言=Hávamál は、古エッダの中に収録されている。
エッダというのは歌謡詩集なんだ。
吟遊詩人によって歌い継がれたもの。
歌、なんだよね。
じゃ、どんなメロディーで歌われたのかな? と思うよね。
一応、音楽屋さんなので、そこを素通りはできない。
 
ギリシャの古歌謡は大理石やパピルスに記されているものもあり、現在も演奏される。
人によっては音楽史の時間に耳にしたことがあるかもしれない。
詳しくないので、ほぼ素人感覚でいうと、邦楽に似ている。
どこか暗く、神聖という言葉が不気味という言葉と紙一重なのと同じ感覚。
 
音源もUPされてるので貼っておく。
↓古代ギリシャの音楽
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10718506
古くはBC138年頃の曲も入っている。
破損・紛失などによって、楽曲構成が欠落したものも、そのままの演奏になっている。
お経っぽいものまである。

 
温暖な気候のギリシャですら、古来の音楽はどこか暗さを伴うのだから、寒さの厳しい北欧ならもっと暗いだろう。
そう思っていた。
ところが、資料に載ってる譜面を歌うと、明るいw
エッダの基礎となってる「巫女の予言」の一節なんだけれど、譜面を見ながら笑ってしまった。
グレゴリオ聖歌のような感じで歌っていいかもしれない。
 
347.jpg
「巫女の予言」3節
 
はるかなる時のはじめ なにひとつ在るものはなかった。
砂も海もなく、冷たき波もなかった;
大地はまったくなく 高き空もなかった、
在りしは大きく開きしうつろ、また草はいずこにもなかった。

 
この譜面はある研究者の論文からの引用だそうだ。
これだけですべてを語れるわけではないが、とても穏やかな旋律。
ギリシャ古音楽が暗めだったように、平家物語の琵琶法師の語りがそうであるように、
北欧神話の歌にも暗さと危機迫るものを想像していたわたくしは、肩すかしを食らった。
 
ヴァイキングやその祖たちの時代、この箴言にも載っているが他人の家に3日以上泊まるべからずというのがあったらしい。
けれど、地方によっては客は歓迎されるものであり、遠方からの客は1週間ぐらい泊まってもらい、毎夜近所を集めて宴会モードで他所の話を楽しんだと聞く。
厳しい冬、雪に閉ざされ、近所との往き来もそうそうできない時期などの孤立感はとても大きかったそうだ。
旅人が新聞のような役割をもち、ニュースを運んでくれ、近隣との社交の場を作ってくれる。そんな感じだったとか。
そこで北欧神話が歌われたし、王宮では吟遊詩人が神や王を讃える歌を歌うことでかなりの地位を得た。
その歌は人を酔わせるものであっただろうし、この旋律からも気持ちよくなれる歌が好まれたのではないかと想像できる。
 
なんだろう・・・
地の自然の厳しさから生まれた、他の神話よりも厳しい結末がまつ神話だからと、そのイメージで判断するのは危険だね。
とても激しい格闘技を愛する国民ほど平和的であるように、厳しい神話を信仰していた人々だからこそ、柔らかく穏やかな歌が好まれていたのかもしれない。とケバダチは思うのでした。
自分の予想は外れたんだけど、なんだか、嬉しい裏切りにあった感じです^^
 
 
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